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東京地方裁判所 平成9年(合わ)327号 判決 1999年9月06日

主文

被告人を無期懲役に処する。

未決勾留日数中五〇〇日を右刑に算入する。

理由

(犯罪事実)

被告人は、平成九年一〇月一〇日午後五時四五分ころ、東京都小金井市緑町<番地略>甲野太郎方玄関先において、同人の妻である甲野花子(当時六三歳)に対し、殺意をもって、その胸腹部等を所携のサバイバルナイフで数回突き刺すなどし、よって、そのころ、同所において、同女を胸腹部刺突に基づく胸腹腔内蔵器損傷による失血により死亡させて殺害したものである。

(証拠の標目)<省略>

(争点に対する判断)

一  本件は、被告人が、弁護士である甲野太郎(以下「甲野弁護士」という。)を殺害することを企て、その身代わりとして同人の妻である甲野花子(以下「被害者」という。)を殺害したというものであり、被害者に対する殺意は甲野弁護士に対する殺意を前提とするものであるところ、弁護人は、「被告人は、平成三年一一月にサバイバルナイフを二本購入した時点においては、同弁護士を殺害する意思を有していたが、その後殺意を失い、本件の時点では、単に、同弁護士のもも辺りを刺して、なぜ自分がそうしたかを公表したいと考えるようになっていたのであって、そもそも甲野弁護士に対する殺意はなかった上、被害者に対する殺意もなかった」旨主張して、本件殺人罪の成立を争い、被告人もこれに沿う供述をしているので、以下検討する。

二  甲野弁護士に対する殺意の有無について

1  右論点を検討するには、平成三年の被告人の山一證券株式会社(以下「山一證券」という。)自由が丘支店におけるアラビア石油株の信用取引を発端とした同社に対する恐喝未遂事件(以下「山一證券恐喝未遂事件」という。)に始まる一連の経緯を検討する必要があるところ、被告人の供述を含む関係各証拠によれば、右経緯について、以下のとおりの事実が認められる。

(一)(1) 被告人は、平成三年二月二〇日、山一證券自由が丘支店(以下、「自由が丘支店」ともいう。)において取引口座を開設し、奥村組四万株、野村證券九〇〇〇株及びNTT五株(評価額合計八五〇〇万円相当)を保護預けし、次いで同年三月八日には、同支店において信用取引口座を開設し、右株式を担保として、同日、アラビア石油株二万株を七七五〇円から七九〇〇円の間の値で購入した。同株式は同日中に八〇〇〇円の高値を付けてから若干値を下げ始めたが、被告人は、その日には売り注文を出さず、その後同月一一日に来店して、担当者に対して右株式に関する情報収集や、信用取引による利息額の計算を依頼するなどした。しかし、右株価はさらに値を下げたので、被告人は、同月一三日には、「とんとん」すなわち損をしない時点で右株式を売りに出すよう担当者に指示した。右担当者は、損益分岐点を計算した上で、それを指し値として売り注文を出し続けたが、右株価がなお下落し続けていたので、売買が成立しなかった。結局被告人は、同月一九日を最後に売り注文を止め、様子を見るよう担当者に指示するなどしたものの、その後、同年五月まで同支店に連絡を取らなかった。

(2) なお、被告人は、右の経緯につき、<1>同年三月八日において、自由が丘支店の投資相談課長は、勝手に指し値(七八〇〇円)を変更して被告人に不利な値でアラビア石油株を買い付けた、<2>右同日、アラビア石油の株価が八〇〇〇円の高値を付けた時点で、直ちに右投資相談課長に対して売却を指示したが、同人はまだ値上がりするからなどと言ってこれを無視した、<3>同月一一日に、自由が丘支店の担当者に対し、右株式の即時売却を指示したのに売却しなかった、<4>同月一九日において、被告人が自由が丘支店長に対し、同月八日に売り注文を無視されたことについて苦情を述べたところ、支店長が謝罪して「決して損をさせない」旨損失補てんを約束した、などと供述する。

しかし、まず、<1>については、前記買付けにかかる買付伝票(甲四四)や前記投資相談課長の証言によれば、右投資相談課長において、当初の指し値(七八〇〇円)では被告人の提供した担保株式相当額全部を買い付けることは不可能であったため、被告人に指し値を七九〇〇円に変更してもらった上で買付けを完了したという事実が認められる。次に、<2>については、右投資相談課長が高値を付けた際に値動きが好調である旨被告人に声をかけた事実は認められるものの、係員として顧客が明確に売却を指示したのにこれを無視するというのは証券取引の常識からして到底考えられない。また、そのような重大な義務違反があれば、被告人において直ちに異議を申し立てるはずであるのに、これをせず、恐喝未遂事件で逮捕された後の同年七月二九日付の山一證券社長宛の書簡において初めてこれを主張していることからしても、右事実は認められない。また、<3>については、そのような指示があれば、担当者においてこれを無視するとは考え難いことは、右<2>におけるのと同様であり、かつ、被告人はこれに対して直ちに異議を申し立てていない。そして、<4>については、売り注文の無視という事実自体が認められない上、これまでの経緯に照らせば、支店長において、被告人に対し、当時の大蔵省通達に違反するような損失補てんの約束をたやすく行うとは到底考えられない。したがって、被告人の右供述はいずれも信用できない。

(二) アラビア石油の株価はその後も低迷を続けたので、被告人は、自己と暴力団との関係をちらつかせて山一證券側を畏怖させた上で、信用取引を遡及的に解消させて損失を補てんさせ、加えて「ペナルティー」名下に金員を取得しようと企てた。そこで、まず、同年五月七日に山一證券本店及び自由が丘支店に対し、それぞれ、暴力団組員を装って、被告人が暴力団と関係している旨の電話をかけた。そして、被告人は、同月一五日、二二日、二九日の三回にわたって同支店を訪れて、最初は、山一證券本社の者が自由が丘支店に自己名義の口座が存在することを暴力団に漏洩した旨、次に、口座開設時に顧客の身分を確認していないことが大蔵省通達に違反しており、本件取引が欠陥取引である旨、最後にはアラビア石油株の信用取引について山一證券の担当者が同年三月一三日の時点で迅速に指し値で売り注文をしていれば売れたはずである旨、それぞれ因縁を付けて、同支店長らを執拗に脅迫し、被告人の信用取引口座の遡及的解消及び「ペナルティー」名下での金員の支払いを要求した。右支店長はこれに対して同年五月一五日の時点で一旦これを承諾したが、後に前記電話がいずれも被告人の狂言であることが判明したので、警察や甲野弁護士が主宰する甲野綜合法律事務所(以下「甲野事務所」という。)に相談するなどした上で、山一證券側としては被告人の右要求に応じないことを決め、同月二二日以降は、被告人の要求を拒み続けた。被告人は、山一證券に対する右脅迫について恐喝未遂罪に問われて同年六月六日に通常逮捕され、同年一一月六日に、右恐喝未遂罪により懲役二年執行猶予四年の有罪判決を受けた。

(三) 被告人は、山一證券恐喝未遂事件による勾留中、山一證券社長宛に、「平成三年三月八日にアラビア石油株を購入した直後、高値を付けた時点で、同日の担当であった自由が丘支店投資相談課長に売り注文を出したのに、同人がこれを無視したため、自分は巨額の信用損を蒙った」という内容の同年七月二九日付け「上申書」を送り付けた。これに対し、山一證券の依頼を受けた甲野弁護士を含む甲野事務所において、被告人に対し、同年八月二一日付け通知書で、同年九月六日に被告人の信用取引の決済期限が到来するが、アラビア石油株については評価損が発生しているので、担保株式のうちいずれを処分して充当するかを通知することを求め、その通知がなければ山一證券において株式を処分し損失分に充当することになる旨通告した。これに対し、被告人は、同年八月二三日ころ、甲野弁護士の住所を名簿で調べた上、同弁護士の自宅に書簡を送ったほか、自由が丘支店長の自宅等にも損失補てんを要求し、脅迫する内容の書簡を送りつけたため、甲野事務所では、同年九月三日付け通知書で、詳細な事実関係を示した上で、被告人との取引について山一證券には非がないこと及び信用取引の決済期限が迫っているが、前記通知がない場合には山一證券において適宜担保株式を処分する旨返答した。その後、信用取引の決済期限である同月六日が経過したのに伴い、山一證券側では、アラビア石油株の信用取引を決済し、それにより発生した約四六〇〇万円の損失に充当するため、同月九日、担保株式のうち奥村組二万五〇〇〇株及び野村證券九〇〇〇株を売却処分したが、被告人は、担保株式の中に愛人の乙川春子(以下「乙川」という。)名義のものがあったことを奇貨として、同女に対して口裏合わせを依頼した上で、担保株式の中には、他人名義の株式を自分が勝手に担保提供したものがあるので、これを処分すれば自己の横領罪に加担することになるという内容の同月九日付け「告白書」を甲野事務所宛に送り付けた。これに対し、甲野事務所では、被告人に対し、同月一三日付け通知書で、同月六日の経過をもって信用取引の決済をし、それにより発生した損失に充当するため担保株式の一部を処分したこと及び今後一切被告人からの手紙には応答しない旨通告した。

被告人は、甲野弁護士ないし同事務所が自己と山一證券との直接交渉の道を絶った上、自己の主張を一切無視し、信用取引によって生じた損失の決済のために担保株式の相当部分を失ったとして、甲野弁護士に対して激しい怒りを覚え、同弁護士を殺害しようと決意し、同年一一月六日前記執行猶予判決により釈放されるや、その翌日ころ、殺害に用いる凶器として刃体の長さ約一六センチメートルのサバイバルナイフ二丁を購入し、同弁護士宅を下見したものの、殺害を実行するに至らなかった。

(四) 被告人は、前記執行猶予判決により釈放された後は、以前から交際のあった女性と同居し、また、執行猶予期間中であることから、山一證券に対する損失補てん等の要求交渉を控えていたが、平成五年四月に次女が被害にあったとの件で恐喝事件(以下「別件恐喝事件」という。)を起こして同年五月二四日に逮捕され、同年一〇月二八日に懲役一年の実刑判決を受け、平成六年六月七日に右実刑判決が確定し、そのため山一證券恐喝未遂事件の執行猶予も取り消され、両事件の刑を合わせて、平成八年二月二八日に仮出獄するまで三重刑務所に服役した。

(五) 被告人は、別件恐喝事件による勾留の最中から、前記アラビア石油株の取引についての責任問題を蒸し返し、山一證券関係者宛に損失補てん及び損害賠償を要求する内容の書簡を送り始めた。すなわち、被告人は、平成五年八月三日付け同社社長宛書簡で、右取引について、平成三年三月八日にアラビア石油株が高値を付けた際に、自分は売りの指示をしたのに、当日の担当であった自由が丘支店の投資相談課長がこれを無視したと主張して損失補てん及び損害賠償を請求した後、甲野事務所から被告人宛に同社には被告人と話し合う意思はない旨等が記載された平成五年一〇月一三日付け通知書が送られるや、同月二六日付け同社社長室長宛書簡や同年一二月二七日付け自由が丘支店長宛書簡で、自己と右翼との関係を示した上、同社の首脳と直接面談して交渉する意思がある旨示したり、甲野弁護士を誹謗中傷したりするなどした。甲野弁護士が平成六年二月一六日付け書簡で右誹謗中傷について被告人に抗議したところ、被告人は、同月一八日付けで同弁護士を誹謗中傷したことついては謝罪するという内容の書簡を送ったものの、山一證券に対する責任追及の姿勢を全く改めず、その後、乙川宛に、山一證券への損害賠償訴訟の提起を依頼したり、山一證券や甲野弁護士、さらには司法を糾弾する内容の書簡を送るなどした。

(六) 被告人は、平成八年二月二八日に出獄した後、運転手として働き月収約二五万円を得る傍ら、前記アラビア石油株の取引に関し、山一證券に対して取引の遡及的解消、損失補てん及び巨額の損害賠償を要求する活動を再開し、同年三月一三日、山一證券本社を訪れ、同社顧客相談室長らに、右取引において当時の自由が丘支店投資相談課長が売り注文を無視したとの主張を記載した書面を提示して、事実関係の調査を要求した。これに対し、右顧客相談室長は、同年四月九日、本社を訪れた被告人に対して、取引に不満があるのなら民事訴訟で争ってもらうしかない旨回答した。被告人は、これに激怒し、同年六月四日に乙川とともに自由が丘支店に赴き、右取引における担保株式の残りを受領した後、同月から同年九月にかけて大蔵省証券局や証券業協会に右山一證券の対応等について苦情を申し立て、その際、自分は同社に対して一億円の損害賠償を請求する旨述べるなどした。

その後、被告人は、同年末ころには無職となって、生活保護を受給するようになり、平成九年五月からは家賃を滞納するようになるなど、生活に困窮した。この間、被告人は、同年三月ころ、かねて考案していた防災マスクの特許申請を弁理士に依頼したりする一方で、山一證券に対する損失補てん等の請求についても前記顧客相談室長らと交渉していた。しかし、同年六月ころ、再び右室長から民事訴訟で争ってもらうしかない旨告げられ、以後の交渉を絶たれた上、折しも山一證券を含むいわゆる四大証券会社の総会屋に対する損失補てんによる利益供与事件が発覚したこともあって、同社に対する憤懣をますます強め、同社に対する恨みを晴らし、ひいては同社から損失補てん等を得るためには、同社の関係者を襲撃するなどして同社に恐怖感を与えるほかないと考えた。そして、被告人は、前記のとおり、平成三年一一月に甲野弁護士を殺害しようと考え、サバイバルナイフを購入し、以後も同弁護士に対し強い憤りの念を抱き続けていたところ、平成九年八月ころには、甲野弁護士を襲撃の対象として、いよいよ具体的実行に移すこととした。

(七) 被告人は、同年九月ころから小金井市内の甲野弁護士の自宅を下見するなどしながら、同弁護士襲撃の犯行計画を練り、<1>凶器として平成三年に購入したサバイバルナイフを用いる、<2>甲野弁護士宅へはレンタカーを運転して行き、平成八年一二月に購入した黒色フルフェイスヘルメットをかぶって顔を隠す、<3>宅配便の配達を装って甲野弁護士を玄関におびき出し、あらかじめ穴を開けておいた箱を左手に持ち、その穴の中にサバイバルナイフを持った右手を隠し入れて同人に近づき、荷物を渡すふりをしながら隙を見て右サバイバルナイフで同人を襲撃する、という計画を立てた。

そして、被告人は、平成九年九月一五日午前、トヨタレンタリース東久留米店でトヨタカローラを借り、右サバイバルナイフ、ヘルメット及び宅配便用の箱等を用意して、午後六時ころに甲野弁護士宅に赴き付近で待機していたが、午後七時ころになっても同弁護士が帰宅しなかったため、この日は襲撃を断念した。なお、被告人は、同日午後八時過ぎころ、車の返却手続をした際、係員に対して「中野会関係の組長のタマを取りに行ったが、チャンスを逃した。」などと言った上で、宅配便を装った襲撃方法について語るなどした。

被告人は、同年一〇月三日にも、甲野弁護士を襲撃するため同弁護士宅に赴いたがやはり灯りが消えていたため、その門扉を革ひも様のもので縛った後、付近で待機し、帰宅した同人がこれをほどいている間に背後から同人を襲おうと機会を窺っていたが、この日も機会が得られず実行に至らなかった。

なお、被告人は、この間の同年九月一七日に自由が丘支店に電話を入れ、同支店総務次長に対し、それまでと同様に、アラビア石油株の信用取引について、当時の支店長らを交えて直接話し合いたい旨要求した。

(八) 被告人は、既に二回甲野弁護士襲撃に失敗していたため、今度こそは必ず同人を襲撃しなければならないと追いつめられた心境になっていたところ、次は同年一〇月一〇日にこれを決行する旨決意し、同月六日に自宅近くのトヨタレンタリース東京築地店に行き、同月一〇日午前八時から二日間トヨタスターレットを借りる旨予約した。

被告人は、同月一〇日午前八時に右築地店でトヨタスターレットを借り受け、同車両内にサバイバルナイフの入ったゴルフバッグ、前記ヘルメット及び宅配便用の段ボール箱を持ち込んで出発し、午前一〇時ころ甲野弁護士宅に行き、インターホンを鳴らしたが、返事がなかったので、そのまま一旦自宅に戻った。被告人は、正午ころ自宅に着いた後、愛人の丙山夏子と自宅で過ごし、午後四時ころ、自宅を出発し、途中右丙山夏子を最寄りのバス停で降ろした後、甲野弁護士宅に向かい、午後五時三〇分過ぎころ、同所付近に到着し、同人宅から約三〇メートル離れた駐車場に右スターレットを停車させ、同人宅の様子を窺った。

午後五時四〇分ころ、被害者が帰宅し、玄関の門灯を点灯させた。被告人は、当初消えていた門灯が点灯したところから、甲野弁護士が帰宅したと思い、車内に用意していたヘルメットをかぶり、右足首にサバイバルナイフ一本を装着し、腹部ベルト部分にもう一本のサバイバルナイフを差した上、宅配便用の段ボール箱を持って甲野弁護士宅に向けて歩いていった。

被告人は、インターホンに出た被害者に対し宅配便である旨告げた上、玄関先に出てきた同女がシャチハタ製印鑑を出したのに対し、甲野弁護士本人のサインを求めたところ、被害者に不審感を抱かれたため、甲野弁護士をおびき出して同弁護士を襲撃することは困難と判断し、とっさに、被害者の身体を刺突するなどした。

2  以上からすれば、被告人は、平成三年の山一證券恐喝未遂事件により有罪判決を受けた後、直ちに甲野弁護士の殺害を決意して、サバイバルナイフを購入し、以後も、山一證券及び甲野弁護士に対する強い憤懣の念を継続させ、出獄後の平成八年以降は、山一證券に対して損失補てん等の要求交渉をし、これがかなわぬとみるや、甲野弁護士襲撃を実行に移そうと決意し、かねて購入していたサバイバルナイフをはじめ、フルフェイスのヘルメット、宅配便用の箱等を用意するなど、周到な準備をし、二度にわたって同弁護士宅に赴き実行に及ぼうとしたが果たせず、本件当日において、三度目の実行を果たそうとした経緯が認められるのであって、これに、被告人自身が、捜査段階及び当公判廷において、甲野弁護士に対する強い憤怒の念は平成三年以降一度も全く消えたことはない旨述べていることをも併せ考えれば、当初抱いた甲野弁護士に対する殺意が消失し、同弁護士に対する襲撃の意図が質的に変化したなどということは到底考え難く、被告人が本件当時においても甲野弁護士に対する殺意を有していたことは明らかと言うべきである。

三  被害者に対する殺意の有無について

1  実況見聞調書(甲三)、検証調書(甲六)、鑑定書(甲三七)等関係各証拠によれば、本件犯行の客観的態様に関して以下の事実が認められる。

(一) 被害者の負った創傷として、胸腹部に五か所の刺創の外、右側頚部、左肘外側、右中指にそれぞれ切創がある。このうち胸腹部の各刺創については、<1>前胸部の胸骨左縁、第五肋間の高さに、左右方向に刺入され、深さ一六・三センチメートルで、左横隔膜を貫いて肝臓、胃を損傷して胸腔内に達し、左肺をも損傷しているものの外、<2>左上腹部、左乳頭の下方一〇センチメートルの位置に、深さ一〇・二センチメートルで腹腔内に達し、上腸間膜及び後腹膜を損傷しているもの、<3>臍の左方四センチメートルの位置に、深さ一三・五センチメートルで腹腔内に達し、上腸間膜を損傷しているもの、<4>右上腹部、右乳頭の下方一六センチメートルの位置に、深さ一一・五センチメートルで腹腔内に達し、肝臓及び後腹膜を損傷しているもの、<5>上腹部、左第八肋骨を損傷しているものが存する。

(二) 本件に使用された凶器は、被告人が投棄してしまったことから確保されていないが、鑑定書(甲三七)によれば、前記各創傷の形状からして、刃幅が刃器の先端から一一センチメートル、一三センチメートルの部分において、それぞれ二・六センチメートル、二・七センチメートル前後、刃長が一六センチメートル前後若しくはそれ以上、刃峰の厚みが〇・三センチメートル前後を有する片刃の刃物と推認されるところ、これに、凶器の形状についての被告人の供述や、被告人の有していた刃物を目撃した関係者の供述を併せ考えれば、本件凶器は刃体の長さ約一六センチメートルの鋭利な片刃のサバイバルナイフと認められる。

2(一)  右のような凶器の種類、形状、創傷の部位、程度等の客観的状況に照らせば、被告人は、殺傷能力十分の鋭利なサバイバルナイフで、身体の枢要部である被害者の胸腹部を五回にわたって強く刺突していることが認められ、これに、被告人は刺突後被害者を放置したまま直ちに逃走していること等を併せ考えれば、被告人には被害者に対する確定的殺意があったことを優に認定できる。

(二)(1) なお、被告人は、本件犯行態様について次のように供述する。すなわち、被告人は、宅配便を装って被害者と対面し、甲野弁護士本人のサインが必要であると言ったところ、被害者が突然体当たりをしてきたので被告人は、玄関前の地復石の端まで一メートルくらい後退し、また、かぶっていたヘルメットの風防が下がって視界が急に暗くなった。被害者は、被告人の着衣の右胸付近を左手で鷲掴みにして被告人の左肩越しに「強盗、強盗」と叫びながら、上半身を被告人の左半身に密着させ柔道の大外刈りのような格好でなおも被告人の身体を押してきたので、被告人はパニックに陥り、ベルトに差していたサバイバルナイフでとっさに被害者を二、三回刺してしまった。その後、被告人と被害者はもつれるように移動し、被害者は書斎と袖壁の間の通路に倒れたが、被告人の右胸付近をつかんで放さなかったため、被告人も同女の上に覆い被さるようにして倒れた。被害者の胸腹部以外の傷は、被告人と一緒に倒れた際に弾みでかすってできた傷であるというのである。

(2) しかし、実況見分調書(甲三)、検証調書(甲六)及び血痕よう採取状況報告書(甲七二、七三)等によれば、被害者の遺留血痕が甲野宅玄関扉の内側に三か所あることが認められ、被告人は玄関扉内で被害者に初期の攻撃を加えたものと推認されるのであって、被告人が、被害者に強く体当たりされたために玄関前の地復石まで後退させられ、そこで初めて被害者を刺したというのは、右血痕の付着状況と矛盾する。また、被告人の供述する攻撃回数及び態様は、被害者の創傷の個数、部位及び程度と明らかに矛盾する。特に被告人と被害者の体が密着している状態では、被害者の体の右側を傷つけることは不可能である。

(3) さらに、本件の際に甲野弁護士宅の近くを歩いていたAは、甲野弁護士宅辺りから「強盗ー、誰か捕まえてー、誰か捕まえてー」という女性の叫び声が上がり、二回目の「誰か捕まえてー」の声と同時くらいに重い瀬戸物かガラスが壊れるような「ガチャン」という物音が聞こえ、その直後にフルフェイスのヘルメットをかぶった男(被告人)が同弁護士宅門扉から出て走ってきた旨供述している(甲七。Aと一緒に歩いていたBも、ほぼ同旨の供述(甲八)をしている。)。前記検証調書等から認められる犯行現場の状況と照らし合わせれば、「ガチャン」という物音は、玄関前の袖壁の上に置かれていた折鶴蘭の鉢植えが、体の一部に触れ、地面に落ちて割れた音であることが推認できるところ、前記のとおり、被告人の初期の攻撃は、玄関扉の内側でなされていることに照らせば、右鉢植えが落ちたのは右攻撃開始後であると言えるから、被害者が叫び声を上げたのも右攻撃開始後であると認められること、また、被害者の発した叫び声が「強盗、誰か助けてー」ではなく、「強盗、誰か捕まえてー」という内容であることからすれば、被害者が攻撃を受ける直前又は受けている最中にこのような叫び声を上げるとは考えにくく、むしろ、被害者が攻撃を受けた後に、逃走する犯人の背後からこれを捕まえてほしい旨最後の力をふりしぼって叫んだとみるのが相当であること等からすれば、被告人の言うような、被害者に「強盗、強盗」と叫ばれて体当たりを受けてから、初めて同女を攻撃したという状況は考え難い。

なお、弁護人は、右の点に関して、被害者は、胸腹部を刺突され、横隔膜を破られているのであるから、このような攻撃を受けた後に、甲野弁護士宅から約五〇メートルも離れた位置にいたAらに聞こえるほどの叫び声を上げることは不可能である旨主張する。しかし、捜査関係事項照会回答書(甲七一)によれば、本件被害者のように、横隔膜を破られ、左肺を損傷して血気胸が生じたとしても、依然として右肺が保たれている場合には受傷後しばらくは発声が可能と認められ、また、前記検証調書等によれば、右Aらのいた位置は甲野弁護士宅から五〇メートルも離れてはおらず、かつ、Aらは、「ガチャン」という鉢植えの割れる音もはっきり聞いているのであるから、被害者の叫び声のみが聞こえなかったとは到底考えられないのであって、弁護人の右主張は理由がない。

(4) 結局、攻撃態様に関する被告人の供述は、客観的状況や第三者の供述内容に照らし不自然不合理な点が多く、信用できない。

(三)  他方、検察官は、甲野弁護士方玄関前において、被告人が被害者から、同弁護士が不在である旨聞いたことを前提に論述するが、右事実を認定するに足る証拠はない。むしろ、実況見分調書(甲三)によれば、シャチハタ製印鑑が玄関前の地復石に遺留されていることが認められ、これによれば、被害者は、被告人からインターホンで宅配便である旨告げられ、自分が荷物を受け取ろうと考え、右印鑑を持って玄関の扉を開けたことが推認できる。また、被告人は、甲野弁護士を玄関におびき寄せて襲撃しようと考えていたのであるから、右印鑑を持って応対した被害者に対し、甲野弁護士本人のサインが必要である旨述べた旨の被告人の供述部分はその限度で信用できる。さらに、通常、宅配便の配達の際に成人である家人が認め印を持って出てきたのに、名宛本人のサインがなければ引き渡せないなどという事態は考え難いのであるから、甲野弁護士本人のサインが必要である旨言われた被害者において、被告人に不審を抱くことは十分考えられるところであり、被害者に不審を抱かれたとの限度では、被告人の供述を排斥することはできない。してみると、被害者に不審を抱かれたと認識した被告人がその段階で甲野弁護士殺害の目的を果たし得なくなったと判断し、とっさに所携のナイフで被害者を刺突したと認定するのが相当である。

3  被告人は、前記のとおり甲野弁護士を殺害する目的で本件サバイバルナイフを購入したものであり、本件犯行前にも同弁護士宅に赴き、二回にわたり殺害の機会を窺っていたこと、本件当日も、今回こそは同弁護士を殺害しようとの強固な決意をもって、同弁護士宅に赴いていること、玄関先で応対した被害者に不審を抱かれたため、同弁護士をおびき出して殺害することが困難と判断し、直ちに、その夫人である被害者に前記のような激しい攻撃を加えたものであり、しかも被告人は被害者が甲野弁護士の夫人であることを十分認識した上で右の攻撃を加えていること、被告人は、本件の五日後の平成九年一〇月一五日に山一證券自由が丘支店を訪れ、甲野弁護士の妻が殺害されたことについても敢えてこれを話題にし、山一證券側に本件事件について想起させた上で、自己に対する損害賠償等を要求していること等を総合すれば、本件においては、被告人は、甲野弁護士の身代わりとしてその妻である被害者を殺害したと認定できる。

四  自首の成否について

弁護人は、被告人は、平成九年一〇月一七日に警視庁本部に出頭し、本件の犯人が自分である旨述べたのであって、本件につき自首が成立すると主張するが、被告人は、丙山夏子と口裏合わせをした上で、捜査の進展具合を探る目的で警視庁本部に赴いたというのであり、しかも取調べにおいて事実を否認したのであるし、そもそも、被告人が警察に出頭した際には、本件について既に捜査機関が被告人に嫌疑をかけていたことも認められるのであるから、自首が成立しないことは明らかである。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一九九条に該当するので、所定刑中無期懲役刑を選択して被告人を無期懲役に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中五〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

一  本件は、山一證券における証券取引において約四六〇〇万円の損失を受けた被告人が、同社との交渉を絶たれるや、同社及びその代理人として対応した弁護士に対する憤懣を募らせ、同弁護士を殺害してその恨みを晴らすとともに、同社の関係者に恐怖感を与えて損失補てん等に応じさせようと企て、サバイバルナイフを携帯した上、宅配便の配達を装って同弁護士宅に赴いたものの、応対に出た同弁護士の妻の態度から、同弁護士の殺害を果たせないと察知するや、身代わりとして右妻を殺害したという事案である。

二1(一) 本件の発端は、平成三年において被告人が山一證券で行ったアラビア石油株二万株の信用取引にあるが、被告人は、同年三月一三日において、「とんとん」のところ、すなわち損を出さない時点で売却するように指示したものの、同日以降もアラビア石油の株価は下落を続けており、損失を出さないで売却できる状況になく、担当者においてその翌日以降同月一九日まで、損失を出さないような指し値で売り注文を出し続けたが、被告人が売り注文を止めた同月一九日に至るまで売買が成立することはなかったのである。また、同月一九日において、被告人が自由が丘支店長に対して担当者の対応が遅いと不満を述べ、支店長において担当者を代える旨言ったことは認められるが、その後、被告人は、山一證券恐喝未遂事件に至るまで自由が丘支店に連絡をしておらず、担当者が被告人に電話をかけたり自宅を見に行ったりしても、連絡を取ることができなかったのであって、山一證券側の対応を論難することはできない。さらに、同年五月一五日において、自由が丘支店長が被告人の脅迫に屈して取引の遡及的解消と一〇〇万円の支払を約束させられた事実は認められるが、それ自体畏怖状態のもとで約束させられたものであるから、その有効性は認め難く、その後同月二二日において、同支店長が右約束の履行を拒否したことについても、被告人の仕組んだ恐喝行為の全容が明らかになった以上、当然の措置といえる。また、その後、山一證券側が、被告人との取引を打ち切る態度を示し、同年九月においてアラビア石油株の信用取引の期限が経過したため、信用取引を決済し、その損失に充当するため担保株式を処分したことについても、証券会社として当然なすべきことをしたにすぎない。

また、甲野弁護士は、山一證券の代理人として、その職責を果たしていたにすぎず、甲野事務所が被告人に対して送った書簡の内容等からしても、被告人に対して慎重に対応していたことが窺われるのであって、何ら非難されるいわれはない。

結局、甲野弁護士を殺害しようとした動機には、自己の思惑どおりに山一證券側が損失補てん等に応じないことについての甲野弁護士への逆恨みに基づく報復目的があったと認められ、これは、被告人の独善的思考と他罰的発想の現れと評し得る。

(二) また、被告人は、昭和六〇年以降、複数の証券会社で株式等の投機的取引を行い、損失が生じたときには暴力団関係者を装い事実に反する因縁をつけるなどして、損失の補てんを受けることを繰り返していたのであって、前記山一證券恐喝未遂事件も同様の手口であることに照らせば、被告人には、山一證券との取引の当初から不法な利欲目的があったものと言える。

被告人は、右恐喝未遂事件で逮捕された後、山一證券に対して損失補てん等を要求するようになったが、山一證券側はこれに応じず、右信用取引による損失の清算として担保株式を処分したので、これに憤りを募らせ、その後同事件で有罪判決を受け、さらに別件で実刑判決を受けて服役するに至った後、獄中から山一證券に対し損失補てん及び巨額の損害賠償を求める書簡を送るなどし、出獄後は、山一證券のほか、大蔵省等にも足を運んで損失補てん等を得ようとしたものの、これが果たせないと知るや、山一證券の代理人であった甲野弁護士の殺害を実行しようとしたのであり、これに、本件後においても、山一證券に損失補てん等を要求していることをも併せ考えれば、本件犯行に利欲目的もあったことは明らかである。

(三) 以上のとおり、甲野弁護士を殺害しようとした動機は、報復目的及び利欲目的にあり、何ら酌量の余地はない。

しかも、被告人は、同弁護士本人の殺害が困難とみるや、何らの躊躇もなく同弁護士の妻を身代わりとして殺害するに及んだのであって、その発想自体冷酷にして卑劣と言うほかなく、本件被害者に対する殺害の動機についても、全く酌量の余地はない。

2 被告人の計画した甲野弁護士殺害の手順は、レンタカーで甲野弁護士宅に赴き、フルフェイスのヘルメットをかぶって顔を隠した上で、宅配便の配達を装って同弁護士を玄関におびき寄せ、隠し持っていたサバイバルナイフで一気に同弁護士を刺殺するというものであり、それに従って道具を準備し、実行に移したのであって、その計画性は顕著であり、かつ、二度も失敗しながら同弁護士殺害を断念せず、なおも三度目の実行を試みたものであって、その執念は異常とも言い得る。

3 また、本件犯行態様をみるに、被告人は、六三歳の小柄な女性である被害者に対し、殺傷能力十分のサバイバルナイフで、身体の枢要部である胸腹部を五か所、しかも、三か所については右ナイフのほぼ根元まで刺したのであって、執拗かつ非情である。

4 さらに、被告人は、被害者を刺した後、これを放置して逃走し、その後、病院に行って自ら負った傷を治療し、犯行に用いた凶器、ヘルメット等を海中に投棄して罪証を隠滅した後、平然と自宅で愛人と過ごしたりするなど、被害者の生命を一顧だにしない行動をとっているばかりか、雑誌編集長に面会して自己が本件の犯人である旨述べて情報提供料を得、山一證券に赴いて甲野弁護士の妻が殺害されたことを話題にしつつ、損失補てん等を要求するなど、自己の犯した罪を積極的に利用して利を図る行動に出ているのであって、犯行後の情状も極めて悪い。

5 被害者は、大学卒業後は労働省で勤務し、退職後は六三歳に至るまで主婦として弁護士の夫を支えながら平穏な生活を送っていたところ、被告人によって突然その生命を奪われたのであって、その無念さは察するに余りがある。また、長年連れ添ってきた最愛の妻を自らの身代わりとして殺害された甲野弁護士は、大きな衝撃と苦悩の中で自己を責めさいなむ日々を過ごすことを余儀なくされ、同弁護士の「私を恨むなら、なぜ私を襲撃しなかったのか。」との言には誠に悲痛なものがあり、他の遺族の悲しみにも計り知れないものがある。遺族の被害感情は今なお極めて厳しく、被告人に対し極刑を希望している。

6 本件は、正当な職務を行っていた弁護士を逆恨みして殺害しようと企て、周到な準備を重ねて同弁護士を執拗につけ狙い、殺害の目的を達しようとしたものであり、弁護士業務に対する重大な挑戦といえるのであって、法曹関係者、特に同業者である弁護士に与えた衝撃は深刻である。

また、本件は、休日の夕刻、閑静な住宅街において、何らの落ち度もない主婦を自宅玄関前で殺害したというものであって、近隣住民に与えた恐怖感も大きい。

7 被告人は、遺族に対して謝罪も弁償もしていないばかりか、当公判廷において、山一證券及び甲野弁護士を恨む態度を崩していないのであって、自己の刑事責任を真摯に受け止める態度に欠ける。

8 被告人は、前科九犯、前歴一五回を重ねてきており、その内容からして粗暴犯の犯罪傾向が顕著である。

また、被告人には、長続きした職はなく、昭和五七年以降定職にも就かず、昭和六〇年以降は、複数の証券会社で株式等の投機的取引を行って生計を立て、損失が生じたときには、暴力団関係者を装って因縁をつけ、損失補てんを受けることを繰り返した挙げ句、本件に至ったものであって、累次の有罪判決、服役にもかかわらず、被告人の反社会的性格は改まるどころかむしろ深化していることが窺える。

9 以上述べてきたところによれば、被告人の刑事責任は誠に重大であると言わざるを得ない。

三  しかしながら、他方、本件には、次のような事情も認められる。

1  本件犯行の動機は報復目的及び利欲目的であるところ、その背景には、自業自得とはいえ、被告人が証券取引において約四六〇〇万円の損失を受けたという事情が存する。また、本件は問題となった取引から六年以上も経過した後の犯行であり、被告人の累次の要求に対する山一證券側の態度等からすれば、被告人が本件を引き起こすことによって同社が損失補てん等に応じる可能性は非常に薄かったと言える上、被告人は逮捕の危険性を冒してまであえて自己が本件を引き起こした旨雑誌編集長に明かしていることなどからすると、主たる動機は報復にあったと言えるのであって、本件の利欲目的を過大に評価することはできず、検察官の主張するように、本件が巨額の強盗殺人に匹敵するとまでは言えない。

2  本件の被害者は一名であるところ、当初被告人が企図していた甲野弁護士の殺害については強固な計画性と異常とも言える執拗さが認められるとはいえ、被害者に対する殺意は、あくまでも甲野弁護士殺害の目的が果たし得ないと考えた際に、とっさに生じたものであって、計画性までは認め難い。

3  被告人には多数の前科前歴はあるものの、二〇歳代前半の強盗罪による懲役五年が最長のものであり、その後は凶悪事犯の前科はない。

4  被告人には、別れた妻に対し子供の養育費を長年支払い続け、防災マスクを考案し、特許申請するなどの面もみられる。また、当公判廷において、被害者を死に至らしめた点については、一応被告人なりに冥福を祈っている旨述べるに至っている。

四  以上の諸事情を総合考慮の上、量刑について検討するに、検察官は、被告人に対して死刑を求刑し、弁護人は、できるだけ寛大な判決を求めているところ、まず、本件は前記二記載のとおり誠に悪質重大な事案であって、とりわけ、弁護士を標的として、異常なまでにその殺害に執着した末、その妻を身代わりとして殺害したものであること、犯行態様も執拗かつ非情であること、遺族の被害感情が厳しいこと、社会的影響が大きいこと、被告人の反社会的性格が顕著であること等に鑑みれば、有期懲役刑は到底選択し得ない。

しかし、一方、死刑は人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な極刑であり、誠にやむを得ない場合における究極の刑罰であることに鑑みると、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ないと認められる場合にのみ、その選択が許されるものであるところ、前記三記載の各事情、とりわけ、被害者が一名であること、利欲目的があるとはいえ、強盗殺人に匹敵するとまでは言えないこと、被害者自身に対する関係では計画的犯行とまでは言えないこと等を考慮すると、本件について死刑を選択することが真にやむを得ないとは言い難く、結局、被告人を無期懲役に処するのが相当と判断した次第である。

(裁判長裁判官 木村 烈 裁判官 久保 豊 裁判官 柴田雅司)

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